STMG 古伝武術の世界|「氣」とは何か、「勁」とは何か
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古伝武術の世界

中国武術では「勁」「氣」という事がよく言われるのですが、この言葉はいろいろな意味を含んでいますから伝書等を読みますと混乱してしまう事がしばしばあります。中国武術特有の統一感のない話ですので、ここではあくまで当館での理解の範囲でお話したいと思います。異説等は当然あるかと思いますので予めご了承いただければと思います。

「勁」について

「勁」という言葉は大雑把に言いますと「力ではないチカラ」と表現できるかと思います。この場合の「力」とは文字通り力任せな蛮勇、稚拙な腕力のような意味です。その昔「柳森厳」という武術家がいて、門弟に「勁とはどんなものなのでしょうか?」と尋ねられた折、「これが力」と言いながら足元に落ちていた木切れで竹を打ったということです。力任せに打ったのですが、大きな音を立てただけで竹はびくともしません。次いで「これが勁」と言いながら今度は細い木の棒で先ほどの竹を打つと、バッサリと竹は切り倒されてしまったという事です。

これだけでは分かりにくいと思いますのでもう一つ筆者の経験からのお話を致しますと、私も修行時代に同様の質問を先生にした折に、師曰く「水を切るが如くに行うのが勁だよ。」と仰って、剣をお持ちになって私を近所の公園に連れて行きました。その公園には小型の滝のような水が流れる落ちる遊び場があるのですが、先生は無造作に流れ落ちる水を剣で横なぎに切りつけました。するとスッと水が切れるのです!何度かやって下さったのですが、やる度に流れ落ちる水に切れ目ができるのです。これには驚きました。師は「これが勁の分かりやすい表現かな。」と諭して下さいました。力ではないチカラ、と言う意味はこのような事柄なのです。

  

「暗勁」

八卦掌や形意拳のような内家拳は殊に「暗勁」ということを言います。これは修練で得た功夫(長い時間と努力の結晶の意味。この語は本来は武術用語ではありません)により生じる「外面からは分かりにくい勁」という意味です。暗勁が備わりますと、穏やかな動きにも関わらず敵はこちらの所作を察知できず、その上軽く触れたようにしか見えないのに鉄棒ででも殴られたかのような威力があるので不思議に思われるのです。ですが、これは修練者にとっては不思議でもなんでもなく、普段の稽古の延長線上にある「一段階」でしかありませんので特別なにか特殊な訓練法を行なっているわけではありません。(勿論、そういったものもありますが)要訣を守りながら丁寧に套路を練り、動きの意味するところを理解していって次第に身体の動きの質を転換していくのです。稽古が進むに従い師が適切に要点を加えていってくれますのでどうしても時間が掛かってしまいますが、この過程を進んでいくと入門前とは全く違う精妙な動きの身体が出来上がります。

  

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