STMG 古伝武術の世界|「氣」とは何か、「勁」とは何か
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古伝武術の世界

「氣」と「心」

氣は心の領域と繋がっています。そしてそのような事柄に気がついた人達は心そのものが全的であるが故に「邪なもの」とは無縁となります。何故ならば心が分裂していませんから天真爛漫で言動にも行動にも裏表が生じず自己欺瞞が起こらないからです。人はいろいろな事が要因で心の分断を強いられています。これは古今東西に関わらず常に起こっている事柄です。

「邪(よこしま)」というのは単純な善悪の話ではなく、今ある自分とあるべき自分、現在の自分が嫌であるから何かを習得して超人になりたい、将来のあるべき自分を目指して今の自身を否定する、こういった自己欺瞞に陥ることを言います。前述の「狐疑心」そのものだといえるでしょう。しかし、そのような妄想の自分は永遠に来ないのです。あるがままの自身を理解せずに想像上の自分を求めるという事自体が邪悪だというわけです。

単純に言えば「自分自身に嘘をつく」といった事になるかと思います。あるがままを受け入れられなければ「先天の氣に還る」事などできません。故に武術的にも達する事が出来なくなります。氣の道は心に繋がり、武術は道を得て漸く「武道」となるのです。

よく武術の達人の先生が人柄も良く、魅力的で無邪気な人が多いのもこういった理由によります。インスタントな精神論などではなく、真の武(真に殺傷力のある現実的な武術)を求め、その結果「氣」というものに突き当たり、ついには心の働きに至るというわけです。逆説的な物言いですが、殺傷の力がない見せかけの武術ではこの道に達することはほとんどないでしょう。何故ならそのような見せかけのものは最初から自己欺瞞的だからです。

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