STMG 古伝武術の世界|「氣」とは何か、「勁」とは何か
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古伝武術の世界

その時、私は私自身の事を忘れ思考も止まっていたのではないでしょうか、感情も何も湧き起らず極めて穏やかな心持だったのを憶えています。先生はニコリとして「これで会得できると思うよ。」と仰ってくれました。我に帰った私はその時を境にどの方向に進んで行けば良いのかが遂に解ったのでした。

「拳意述真」

形意拳の孫録堂は著書「拳意述真」でこう述べています。「未だ知らざるを知る、このような境地に達している名人は四名しか知らない。形意拳の李能然先生、八卦拳の董海川公、太極拳の楊露禅先生と武禹譲先生である。」(特筆すべきは自身の師である郭雲深をこの中に含んでいないという事です。厳しく客観的に見た上での人選だと感じられます。)これがおそらく「練氣化神」の段階、或いはその先の「練神還虚」の状態にいる名人なのでしょう。孫録堂はいろいろな著作を発表していますが、繰り返し「武術の意義は先天の氣に還ることである」と述べています。

どういう事かといいますと、筆者の修業時代の過ちでもある「目で見て脳が判断し、それから身体が動く」というようなやり方では常に後手に回ってしまうのです。いきなり襲い掛かられてもこれでは全く対処できません。ですからどうしても「心の働き」というものが必要となり、孫録堂が述べている「先天の氣に還る」という境地に達しない限りいつまでたっても初心者と本質的には変わらないという事なのです。先天の氣に還る状態とは「未だ知らざるを知る人」というわけです。「心の働き」で対処できる人はおそらく心がトータルな状態であって、分裂していないと考えられます。では心がトータル(全的)であるというのはどういう状態なのでしょうか。

「狐疑心」

これについては日本剣術の「狐疑心(きつねぎしん)」という戒めがうまく説明できているかと思います。狐は猟師に追われると逃げながらも後ろが気になってつい脚を止めて振り返ってしまうそうです。そのまま一目散に逃げていれば助かるのに、猟師が本当に追ってきているのかな?と疑い、脚を止めて後ろを見てしまうために遂には撃たれてしまうのです。これを「狐疑心」と呼び日本剣術では戒めとして語られているのです。

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